2.あれから10年
東京都の養護教諭になるまで
阿部大樹

「保健室をトレーナールームに」という夢を抱いて10年以上が経ちました。何人かの人から「今、どうしてるの?」という問い合わせをいただきましたが、現在も継続して同じ夢を持っています(当時とは少し考え方が変わりましたが・・・)。
 看護学校卒業後、大学病院の整形外科のある病棟に入職しました。そこでは整形外科の先生との関わりを積極的に行い、手術見学やプロスポーツ現場帯同など、病院だからこそできる経験を積むようにしていました。
 看護師のメリットは安定した給料をもらいながら勉強ができること、スポーツドクターとの深い関係を築けることだと思います。整形外科の先生たちは各スポーツチームでスポーツドクターとして登録している場合が多いです。私が知っているだけでも、サッカー、バレーボール、ラグビー、アイスホッケー、競艇など多くの現場で活躍していました。その一方でデメリットはスポーツ選手を見る機会が少ないことです。患者さんのほとんどは一般の患者さんです。そのため私は、休みの日などを使ってスポーツ現場やトレーナー関係の勉強会に行くようにしていました。このように病院には、自分から動いていけば自分のやる気次第でいくらでも勉強できる環境がありました。
 養護教諭(一種)の免許は、仕事に慣れてきた3年目の時に通信教育で取得しました。看護師免許を取得していると、大学に3年次編入ができるため2年間で卒業できましたが、この2年間は本当に大変でした。仕事と大学の両立はかなりの努力が必要と言えます。
 教員採用試験は社会人枠で受験しました。社会人枠(東京都の場合)というのは、3年以上継続して一つの会社で働いている場合、もしくは複数の会社でも5年以上働いている場合の人が対象で、一次試験の教養科目・専門科目が免除となり、一次試験は論文、二次試験は面接となります。新卒と勉強での勝負がない分、社会人枠の合格数はかなり少ないのが特徴です。しかし、教員を夢見て違う仕事に就いた人でも教員になるチャンスがあるという素晴らしい制度であるとも言えます。
 初めての教員採用試験は独学で勉強しましたが一次試験で不合格。2回目は予備校に通い予備校での成績は良かったものの一次試験で不合格。3回目は学校での経験が足りないと考え、3校でのボランティア活動、近くの高校の養護教諭に直談判し保健室で1年間研修させてもらいましたが一次試験で不合格。その後もボランティア活動を続けながら、知人の元国語教師にお願いしマンツーマンで論文の勉強をしていました。
 そして今年度(平成24年度)、4回目の挑戦にして東京都の教員採用試験に合格することができました。7年間務めた病院を退職し、来年度(平成25年度)からは夢であった東京都の養護教諭として働きます。10年以上かかりましたが、やっとスタートラインに立てました。夢はイメージ力、ずっと思い続けていれば叶うものだと思います。ぜひ夢を持っている人がいましたら、トレーナーや養護教諭にかかわらず、最後まであきらめないで夢を追い続けてほしいと思います。

 これからの10年 夢の実現に向けて


 実は、ボランティア活動や保健室研修を通じて「保健室をトレーナールームに」よりも先にできそうだと考えているのが、トレーナー部の設立です。これに関して言えば学校にとってメリットばかりです。最初はマネージャー強化としてマネージャーとの連携からのスタートでもいいのですが、保健室を拠点としたトレーナー部からの派遣という形ができればよりスムーズな連携がとれると考えています。
 部員には3年間で、応急処置、BLS、AEDができるようになることを目指します。これができれば部活だけでなく学校にとってもメリットですし、その子供の今後のセルフケア能力も上がります。キャリア教育の観点からもトレーナーや看護師を目指す子供への勉強の場として、ケガや苦手を理由にスポーツを諦めた子供への新たに輝ける場としてもトレーナー部は最適です。これは「学校=教育の場」という考え方からトレーナー部を利用した子供たちへの新しい教育の方法です。
 これからも養護教諭としての経験を積みながら、興味のある勉強をどんどんしていきたいです。そして定年までには「保健室をトレーナールームに」のようなことができたらいいなぁくらいに今は考えています。冒頭でも書きましたが、当時は絶対コレをやりたいんだという熱い想いがありました。しかし、ボランティア活動や保健室研修を通じて子供たちと向き合い、まずは本来の養護教諭の仕事をしっかりやりたいと思うようになりました。これから10年間、一日一日を大切にし、一生懸命、養護教諭としての仕事を全うしていこうと思います。


阿部 大樹



阿部大樹(あべ だいき)

2013年3月29日
一覧、プロフィールへ戻る

©2013 Abe Daiki